晴天まっサオイズム

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若者の投票率向上における二つの態度

こんにちは!

本日は、「若者の投票率という問題を捉える上で、いろいろ考えたことを綴ろうと思います。

 

さてさて

世間では、沖縄県知事選挙が話題ですが「選挙の度に」と言っていいほど若者の投票率が問題に上がります。

 

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例えば、去年の衆議院選挙において投票率

10代 40.49%

20代 33.85%

最も高い年代になると

60代 72.04%

50代 63.32%

というように、投票率の低さは自明でしょう

地方選挙となれば世代別投票率10%まで低下することもあります。

 

参照:総務省 国政選挙における年代別投票率について

(http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/)

 

それでは、なぜ若者の低い投票率は問題なのでしょうか。

そこには2つの角度から違った問題意識があるように感じます。

 

1つは、若者が投票に行かない結果若い世代に政策的な不利が生じてしまうこと。

 

つまり、政治家の目線からすれば、投票してくれない層にアピールする必要がないから

投票率が高くて人数も多い高齢者に向いてしまう

結果としてあらゆるサービスが高齢者偏重になるよね

 

といったことに対する問題意識です。

これは凄く分かりやすいですね。

シルバー民主主義って呼ばれ方をされたりします。

 

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一方で、もう一つの考え方があると思います。

それは、投票に行かないことが表す若者の政治の興味のなさが問題だということ

 

民主主義の理念としては一人一人が政治家であるのだから、責任を持ち主体的な市民となるべきだという態度です。

 

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この二つの考え方は、対立するものではないですが、一方で似て非なるものだと思います。

 

例えば、投票率を上げるために

投票すれば1000円貰えるというシステムにしたとするならば

 

前者の立場からは、

結果的に投票率が上がればそれでいい

ということになるし

 

後者の立場からは、

思考することや議論することといった要素を省いた

民主主義の当事者としてはレベルの低いモチベーションである。として、ネガティブなものに映るかもしれません。

 

また別の角度から見れば、

 

前者からすれば、極論

投票率が限りなく低くても、それはそれで政策的にフェアならそれで良い

ということになれば

 

後者からすれば、極論

高齢者も高齢者で投票に行かない30%は問題である

ということになります。

 

また、投票率がただ単に上がればそれでいいのか?

という問題に対しては、

 

前者は、

それで政策的にフェアであればまぁ良い。

ということになり

 

後者は、

投票率に加えて投票の。あるいは、投票に至るまでのプロセスの充実性。などにまで強い関心が及ぶのではないでしょうか。

 

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私の立場としては、民主主義というものが目的化してしまうことに危惧しており

歴史の暫定解の程度で捉えているため前者の立場が強いのですが

 

民主主義の強みである

一人一人が平等に扱われるという道徳的な最もらしさや、

政治的な決断に一人一人が責任を持てる

という点においては、共鳴する部分も多いです。

 

同じ問題にフォーカスしていたとしても、

この立場の違いによって、何となく話が噛み合わなかったりするなぁ、、、

ということを思うことが多くなりました。

 

投票に行くことが大切なのか

政治に興味を持つことが大切なのか

民主主義を守ることが大切なのか

政策がフェアに行われていることが大切なのか

 

何が手段で、その先に何があるのか

 

時には、そもそもの問題意識に立ち返って

深掘って言語化してみることが大事な気がします。